SSブログ

治療恐怖から体外受精へ [不妊治療]

2009年8月の記事
「治療恐怖について」にコメントがついていましたのに
ずっとブログを放置していましたので
気が付かず今になってしまいました。
コメントをくださった ソレイユさん、本当にすみません。

また、アクセス解析を見ていますと
この記事を見てくださる方も多く
同じような悩みを持った方が多いのかなと思います。
ソレイユさんへのお返事代わりに、この記事を書くことで
他の方にも見ていただけたらと思います。


下の記事に 「忘備録」として年表みたいのを作っておきました。

「治療恐怖」という言葉は私が勝手に作った言葉なので
こんな言葉の症状はないかもしれませんが
症状としては、
 「私の場合
 内診台に乗るだけでも、過呼吸になったり泣けてきたり。
 内診台だけではなく、
 インフルエンザの検査だってできないし
 のどに薬を塗るのだって無理・・・。
 手の届く範囲を超えた体の内部に
 何かが入ってくるのが怖い。
 浣腸とかも無理。
 あと、血とか手術の場面とか、
 体の内部の写真とか模型とか、
 それがどうなってこうなって・・・という話とかも無理。」

無理だったことは
・コンタクトを初めて処方されたとき →脳震盪を起こして横になる
・めまいの検査で、耳の中に電極を取り付ける →脳震盪を起こして中止
・思い付きで献血へ →脳震盪を起こしたのか、血圧60で 中止

そんな私が、大学病院で不妊治療を受けられるようになるまでのことを
思い出してみます。

30歳の時に子宮内膜症が分かりましたが
これは、お腹の上からエコーでの診察です。

その後、内膜症の治療のために婦人科に通うことになりますが
内診が苦手なので、
お腹の上からエコーで診察をしてくださる病院に通ってました。
私の場合、お腹に脂肪が比較的ついていないとのことで
エコーでも大丈夫 と言ってもらえました。
内診とは逆に、おしっこを膀胱にためて診察すると見えやすいらしい。

この病院は土曜休診のため、仕事が休めず通いづらく
内診しなくても診てもらえるところを探しました。
頑張ってみてもらおうと決意したこともありましたが
やはり泣けてきて、「あなたは診られません」と、
診察料いらないから と拒否された病院もあります。

麻酔をしているうちに診てもらえるところもありました。
が、麻酔が覚めても車で帰れないので
迎えに来てもらわなければならず
仕事との両立は難しく 通えませんでした。

いろいろ探して、エコーで診てもらえる先生が見つかり、
以後、この先生にずっと診てもらうことになりました。
子宮内膜症は 
ピルを飲んで生理を止め、病巣を大きくしないで経過観察すること になりました。

その後、しばらくはエコーでの診察でしたので
内診台には乗るものの
内診はしていません。
ですが、内診を克服できるように
この「内診をしない先生」にお願いして
内診の練習をさせてもらいました。
 今日は大丈夫かなってときは診てあげるよ
 でも、しんどかったらすぐにやめるからね
といった具合でした。
何度か挑戦しました。
当時は心療内科にも通っていたこともあり、抗不安剤を頓服薬でもらって
薬を飲んで、気持ちを緩めて挑戦してました。
頑張ったときは、自分としては
ハーフマラソンぐらいしたぐらいの体力の使いようで、
帰ってきたらぐったりで寝込んでしまうぐらいです。

内膜症の症状が落ち着いていたころ
なぜかしばらく通院してなかったのですが、
「内診しない先生」は、
他のちょっと遠くの病院へ転院してしまってました。

結婚をしてから、
内膜症の症状が悪化したのですが
他の病院で診てもらうときは
心療内科で処方されていた
不安な時に飲む薬を飲んで内診台に対処しました。

以前の練習もあって、
抗不安剤を飲めば、内診は なんとか・・・
内診や治療全般について苦手なことは、問診票にも書き
先に理解してもらうようにはしましたが、
緊張しすぎや、みたいな感じで言われたりして
理解してもらえない感はありました。

手術することになりましたが、
これは、全身麻酔 ということで
なんとかがんばって受けることにしました。
卵管が詰まっていないかなども
麻酔しているうちに診てもらいました。

全身麻酔から冷めた後は、最悪につらかったです。

その後、過去記事にも書きましたが
妊娠、出産となると
治療恐怖 では対処できないので
克服すべく、この医師に 心療内科への紹介状を書いてもらい
心療内科での治療を探すのですが
「それは治せない」的な話ばかりでした

結局、以前ずーっとお世話になっていた
「内診しない先生」を追って
ちょっと遠い病院まで行きました。
そして、またしばらくそこに通うことにしました。
基礎体温を測ってのタイミング療法です。
そこから、私の不妊治療のスタートです。
しかしながら37歳の年ですから、時すでに遅しですね。
(今となってはそう思いますが、その時は、
 自分は健康だからすぐに妊娠できると思っていました。)

タイミングを試しても全くかすりもしないので
人工授精に挑戦することにしました。
が、これには内診は避けて通れません。
今まで少しずつ練習はしてきたものの、
私には、かなりの覚悟が必要でした。
麻酔をして内診する ことは この先生はしてくれないので
頑張らないといけませんでした。
心療内科で、不安な時に飲む薬を処方されており
お守り代わりにもらった感じで
内診以外の時にも飲んでいたので
これを飲んで対処しました。

人工授精も40歳まで続けましたが
こちらも全くでした。

40歳といえばもう体外受精にステップアップももう遅いような歳ですが
この先生とは長い付き合いで
私の恐怖症では無理に勧めても無理と分かっていたのか
その話はなかったので
私もあまり歳のことは考えずに焦らずにいたのだと思います。

たまたま、その先生に診察してもらえないときがあり、
他の先生に当たったとき
え、その歳でまだ人工授精?!
みたいな反応で、
その時初めて、焦らなければいけない年齢であることを自覚しました。

で、体外受精へのステップアップについて「内診しない先生」に相談すると
大学病院の先生を紹介してくれることになりました。
治療に対して恐怖があることも含めて紹介状に書いてくれました。
優しい先生だから とのこと。
それと、大学病院なら心療内科もついているからと。
今通っている病院は総合病院だけど心療内科はなく、
そもそも婦人科にも、メンタル的にサポートするシステムが必要だと思っている
と、その先生は言ってました。

で、大学病院に移ったの41歳目前の秋でした。
夫婦で体外受精の説明会にも参加しました。
35歳、37歳とすぎるごとに妊娠率は下がり、
40歳では20%の妊娠率、その後もどんどん下がると
現実を突きつけられました。
あと、助成金制度も利用できることなども知りました。
(その時は、年齢制限はありませんでした。)

そして、幸いなことに、
ほんとに私が通っていた時期だけだったのですが
試験的に、助産師さんがカウンセリングをしてくれる診察
みたいのをやっていました。
なので、ベテランの助産師さんが
治療に対しての恐怖をまず じっくり話を聞いてくれました。

体の中に入ってくるものが怖い
現代の医療全般が怖い
出産自体は自然なものなので耐えろと言われれば耐えられるが
いろんな器具で治療されると思うと怖い

など…いろいろ話しました。

以前通っていた先生も、いろいろ医師に伝えてくれていました。
また、助産師さんのカウンセリングの話とも合わせて、医師が診てくれました。
本当にまず内診台に乗るところからの練習をしてくれたのです。
内診台に乗って安心できるところからの練習、
そのために通わせてくれました。
家では、深呼吸の練習をしました。
私は息を長くはけるほうです。
吐いているときに治療をしてもらうイメージを持ちました。

大学病院が職場から近い ということも幸いでした。
ですが、年度末に異動の可能性があり、
今年異動がなくても長年月勤務しているところなので
近々の異動があるかもしれません。
異動があると、病院に通えないどころが
慣れるまでは、何もできないだろうから
自動的にそこで妊活は終わるだろうな との危機感もあり
練習ばかりしていたのでは、無理かもしれない との焦りがありました。

ですので、2度ほど内診の練習をした後、41歳を迎えたばかりの冬でした、
恐怖がまだ強い私ですが、早く体外受精への治療を進めたい と
医師に言うと、
夏ぐらいまで練習しようかと思っていた とかいうので
異動がかかると通うこともできなくなるかもしれないので
なんとか頑張るのでお願いします、 とお願いしました。
職場にも 事情を話して 異動はストップするように お願いはしておきました。

で、3月に1度目の採卵をすることになりました。
卵胞が育っているかは、内診で診ます。
息をいっぱい吐いて耐えました。
あと、以前からもそうですが
私はカーテンが締まっていると緊張するので
内診の時はカーテンを開けてもらうようにしています。
自分が息を吐いているときに診てもらえるように
息を吐いていることが分かるように との思いでした。

体外受精は採卵のために毎日注射に通ったり
時間通りに点鼻薬を打ったりします。
注射の時は 苦手です と先に伝え
ベッドで横になりながらさせてもらいました。
なるべく自分が緊張の少ない場所に打ってもらいました。
お尻とか。
お腹に打つ と言われたときには怖いので お尻にして と頼みました。
でも、お腹のほうが効き目が高い といわれたときには頑張ったときもあります。

採卵の方は、全身麻酔ですので
クリアできる と思ってました。
覚めた時には 何もなかったように覚めますし
1日ぐっすり眠れるので楽ちん ぐらいに思っていました。

1回目の採卵では たった1個の受精卵でした。
若ければもっと とれると思いますが
なんせもう当時41歳ですから、
今思えば採れただけでも大成功。

このころ、3月末で
カウンセリングをしてくださっていた助産師さんが
異動となることがわかりました。
心細かったです。
が、体外受精の採卵まで耐えられたこと
ここまでこれたらもう大丈夫だよと励ましてくださいましたし、
私のような事例を異動先で研究結果として発表したい、とお願いされました。
たしかに、恐怖のある人に寄り添いながら
治療を進めてもらえたらすごく安心です。
こんなシステムがいつでもどこでもあればよいなと思います。

4月になって受精卵をお腹に戻しました。
これは内診が必要です。
麻酔もなしです。

ここまでには
息を長くはけば内診も耐えられるようになってきましたが
卵を戻すことなどは 未知のことですので
やはり緊張しました。

これで、体外受精の一連のことは終わりました。

内診もなんとなく、こういうものだと分かってきたようで
息が上がって泣けてくることは なくなりました。


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。